2017年3月11日から12日の二日間の日程で、鉄道写真家 武川健太さんと行く「南三陸の今と陸羽東線撮影の旅」という旅に出かけてきました。



 3月11日と言えば、6年前に東日本大震災が発生した日です…。
 今回は現在の南三陸町を回り、ワタクシが感じたことをレポートさせていただきます。

 武川健太さんは東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県出身なのですが、内陸部に位置する登米市に住んでいたおかげで大きな被害は受けなかったのだそうです。
 しかし、今回の旅では大津波によって甚大な被害を受けた南三陸町の避難所で、炊事などで避難所を取り仕切っていた遠藤光一さんに当時の状況をお聞きしながら被災地を回ってきました。

 まず、最初に向かったのは住民への避難を最後まで呼びかけつづけた結果、職員の方が津波にのみ込まれてしまった防災対策庁舎です。



 なんでも3階建ての庁舎を完全に飲み込むほどの大津波が襲ってきたそうですね…。
 祭壇に花を供え手をあわせる方々や読経を唱える僧侶がひっきりなしに訪れてきていました。

 そして、高台へ移動して被災前と被災後の光景を見渡してみたのですが、そこで目にした光景には絶句せざるをえませんでした…。

●被災前



●被災後


 川沿いに遡ってきた大津波が谷間の家並みを根こそぎ飲み込んでしまった感じですね…。
 自然の力には人間の力なんてちっぽけなもんだと思わざるを得ません。

 遠藤光一さんから聴いた話では、この辺りでは昔から津波の被害を受けた経験があり、年に一度は避難訓練が実施されていたのだそうです。
 そのおかげで高台へ避難しようとする住民の方は多かったのだそうですが、想像以上の大津波の影響で大きな被害を受けてしまったのだとか…。

 ちなみに、遠藤光一さんが大津波の恐怖を感じたのは津波が襲ってきた時ではなく、その直前に潮が引いていく光景を目にした時だそうで…、



 湾内の水が根こそぎ津波になってしまったとしたら10数メートルという津波の高さにもうなずけるものがありますね。

 そして、町内のアチコチで進められている復興工事の進捗具合については、6年経った今でも川の護岸の整備が続けられており、



 防災庁舎より高くまで積み上げるかさあげ工事が続けられています…。





 これらの基礎工事が終わったあたりについては商店街が完成していたものの、まだまだ復興途上であるように見えました。
 完全復興への道は遠そうです…。

 そして、この辺りは構想から40年もの歳月をかけて完成させた気仙沼線という鉄道が走っていました。
 しかし、大津波によって海岸沿いの駅舎や線路が飲み込まれてしまい復旧の目処が経っていない状況となっています。



 そこで、鉄道の代わりに整備が進められたのがBRTという交通機関で、平たくいってしまえばバスです。



 ただし走る道路が特殊で、かつて線路が走っていた場所を舗装しなおしてバス専用道路として走っていたり、橋脚が崩れてしまった箇所については一般車両と同じ場所を走っていたりします。



 上の写真はかつて鉄道の駅であった場所へつづく道路の直前で停車したBRTなのですが、線路の敷かれていた場所には草が生い茂り、左へ曲がって専用道から一般道へ進まざるを得ない現状にもの悲しさを感じざるを得ません…。

 そして、我々のような部外者が参列させていただくのはおこがましい感もしたのですが、 かつては避難所として使用されていたベイサイドアリーナで開催された慰霊祭の末席に参列し、14時46分からの黙祷を捧げさせていただきました。
 故人のご冥福をお祈りさせていただきます…。






 この日は微力ながらも地元経済の活性化に貢献するため南三陸町の民宿コクボ荘に宿泊させていただいきました。
 この民宿は元々海岸沿いにあったらしいのですが津波に建物が流されてしまい、山間の高台に再建されたのだそうです。
 真新しい建物は過ごしやすく、なんといっても地元産のとれたての海産物が絶品でした!





つづく


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